毒にも薬にもならず。

何を書き始めるか、私自身にすら予想もつかない思い付き。

微細な差 振り回される8ビット。

守秘義務に触れない範囲で、クライアントの話をするなんて、難易度が高過ぎる事に気付く。

 

と言う訳で、本日は過去の私のお話。

 

今でこそ、広義の意味では言語学に籍を置いていると極僅かな身内には思い込まれているらしい。

しかしそれは、喫煙中のヒアリングだけで中国語とベトナム語のニュアンスを把握して意味を理解するに至った。などと言う非常にありふれた、どこにでもある、他所の人がやらなかったやり方を期せずして実行した結果であって、そこに私の本質など何もない。

 

本来、私が籍を置いている。(置いていた)

のは文化人類学であり、西洋占星術を研究したのも、始めは原住民の呪術辺りからじわじわと始めたのだ。

 

尤も、選択肢の一つとしての文化人類学に、真剣に首を突っ込んでも良いかと考え始めたのは、ある二つの出来事が切っ掛けであって、存外話しやすい、その片方が今日の話。

 

試験科目として齎された、集団発表。

テーマに関しては、選択肢がかなりあったものの、記憶している限り、あの時私は『何であろうとやらねばならない事に変わりない。』と考えていた筈だ。

 

しかし、愕然としたのは、他ならぬそのテーマが要因。

ダーウィンの進化論とポケモンの進化の関連性。』

些か、ウィットに富んだテーマではあるものの、学術論の王道と幼少期の思い出の取り合わせは意外と私をやる気にさせてくれて、チームの連中を置いていく様な形で着々と仕込みを済ませて行った。

 

当日試験は同期生、それ以外に関わらず質疑応答が自由に可能な形式。

 

趣旨のズレが、学問をお遊びに変えてしまう危ういテーマなので、最低限のユーモアと数値に基づく解説を土台に成果を半ば上機嫌に語っていた私に、俗に言う障害物。

(大事故に繋がるタイプの小石の様なもの。)が待ち受けていたのだ。

 

まさかの反証として、ラマルクの進化論を持ち込んだ人物が現れたのである。

ダーウィン、ラマルク、双方の比較論考なんて始めてしまえば、

以前私が、気に入らない講師への嫌がらせに執筆した評伝シャア・アズナブルに関する書評に匹敵する数万文字単位の内容になってしまうので読者諸氏の好奇心に委ねる事とするが、

 

人為的改造を齎されたゲノセクトを土台にラマルキズムを只管迂遠な形で否定したり出来れば非常に楽だったのだが、興が乗って負けない為の何処までもいやらしい議論に持ち込んだ事と忘れもしない特待生の彼のポケモンに対しての知識が第二世代辺りで止まっていた事が災いしてかなりの長期戦に発展。

結果だけ掻い摘んでしまえば、ラマルクの理論だけを抽出した彼のアンシャン・レジームは失敗に終わり、気付いた頃には当代の学内では珍しい様な議論となってしまい、敬愛する師の目を引いてしまう一因となった訳だ。

 

何時ぞやか、我々を熱狂させて止まない、あの8ビットゲームの製作者に彼等なりの進化の定義を小一時間問い詰めたいものである。